原広司の建築哲学はどのように現代に影響を与えたのか
1. 建築家の原広司さんが88歳で死去。
2. 近代主義建築を乗り越える作品を多数手がけた。
3. 名伯楽として多くの著名建築家を輩出。
建築家で東京大学名誉教授の原広司さんが88歳で亡くなりました。彼は大阪・梅田スカイビルやJR京都駅ビル、札幌ドームなど、都市の顔となる巨大建築を手がけ、日本の現代建築を実作と理論でリードしました。
彼の作品は、フラットな空間が続く近代主義建築の「均質空間」を乗り越えるもので、世界中の集落調査や哲学、現代数学、宇宙論の知識を生かして設計されました。代表作には「住居に都市を埋蔵する」と宣言した自宅・原邸や「空中庭園」を備えた梅田スカイビル、谷のような地形を導入した京都駅ビルなどがあります。
また、彼は名伯楽としても知られ、東大生産技術研究所の原研究室からは多くの著名建築家が輩出されました。作家の大江健三郎氏との親交も深く、彼の故郷の中学校の校舎も設計しました。