対馬丸撃沈80年、3日間漂流した女性の壮絶な生還劇

対馬丸撃沈80年、3日間漂流した女性の壮絶な生還劇

※記事の画像はイメージです

対馬丸の悲劇をどう伝えるか
1. 比屋根安忠さんの遺影を手に思い出を語る松永和子さん。
2. 1944年、対馬丸が米軍に撃沈され約1500人が犠牲に。
3. 松永さんは生存者として80年前の体験を振り返る。

福岡市内の自宅マンションで、松永和子さん(89)は、遺影に手を合わせるのが日課です。彼女は9歳の時、兄の比屋根安忠さん(享年12歳)と共に対馬丸に乗り、一人生き延びました。

1944年8月21日、那覇市久米町の自宅から那覇港へ向かい、対馬丸に乗船しましたが、翌日夜に魚雷攻撃を受け、船は沈没しました。松永さんは海に落ち、いかだに乗った男性に救助されました。

対馬丸には1788人が乗っており、約1500人が犠牲となりました。松永さんはその後、宮崎県内の女学校で生活し、唯一の生存者としての重い記憶を抱えています。

彼女は「トラウマで水が怖い」と語り、戦争の悲惨さを伝え続けています。
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