30年後の再会、彼らはどのように生き延びたのか
1. 阪神大震災から30年、4家族が再会。
2. 稗田公園での避難生活と助け合い。
3. 船井さんの母救出の体験と結束。
1995年1月17日に発生した阪神大震災から30年が経過し、6434人が犠牲となり、3人が行方不明のままです。
震災直後、神戸市灘区の稗田公園で避難生活を送っていた4家族が、2024年の暮れに再会しました。彼らは「30年後も、みんな元気でいような」と約束していました。
避難生活や自宅再建の長い道のりを経て、4家族の大半は今も公園周辺で暮らしています。当時、避難所は満員で、公園には約300人がテントを張って避難していました。
4家族の一人、船井保雄さんは、震災当日の体験を初めて語りました。彼は母親を救出しようとしましたが、母親は命を落としました。この体験が4家族の結束を強めたと語られています。