15歳の少年が目撃した、親戚11人の悲劇的な空襲体験とは?

15歳の少年が目撃した、親戚11人の悲劇的な空襲体験とは?

※記事の画像はイメージです

戦後初の花火大会、なぜ観衆は神妙な面持ちだったのか
1. 1946年、岐阜で戦後初の花火大会が開催された。
2. 高木慈興さんは親戚11人を空襲で失った。
3. 花火大会の観衆は神妙な面持ちだった。

1946年8月、岐阜の長良川で戦後初の大規模な花火大会が開催されました。終戦からわずか1年後のこのイベントには、10万人以上の人々が集まりましたが、映像に映る観衆の表情はどこか神妙で、笑顔は見られませんでした。これは、戦争の記憶がまだ鮮明であったためです。

現正寺の住職である高木慈興さんは、当時16歳で、親戚11人を空襲で失った経験を持っています。彼は、花火の音が空襲の記憶を呼び起こし、辛い思いをしたと語っています。

1945年7月9日、アメリカ軍が岐阜市に焼夷弾を投下し、高木さんの親戚は防空壕で命を落としました。岐阜空襲は約2時間続き、900人が死亡し、多くの家が焼失しました。

戦後の花火大会は、平和を祝うものでしたが、戦争の傷跡が深く残る中での開催でした。
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